2011年12月29日木曜日

雪が降った

12月24日、ホワイトクリスマス。
午後6時30分。
クリスマスケーキを買って帰ることになっている。

店を少し早めに閉めて、帰ることにした。
表は、予想外の一面真っ白。びっくり。
季節の無い店を出て、
寒さに凍えながら夜景を撮る。
寒いのに、通りかかった犬に律儀にも声をかける人がいる。
家路を急ぐ。お土産重そう。
足取りは、いつもより軽そう。
脱藩の町。愛媛県との県境の町。
四万十川の源流域とはいえ、計画的に整備されたところ。
この夜は、いつにも増して、街路灯が降る雪を染めて奇麗だった。
雲の上の温泉前。

帰ったら、怒られた。
孫が、クリスマスケーキの帰りを、「遅し!」待ちわびていた。

2011年12月27日火曜日

龍馬が泊まった宿

此処が国境。

12月23日午後3時2分、脱藩。
粉雪が散っていた。

右側の白線は、土佐國。
左側の黄線、伊予國。
センターは、脱藩ライン。
龍馬が、泊まった宿。
yayoiさんが下宿していたお家でもあるそうな。

10年位前は、周辺の田畑も現役で活気が感じられた。

yayoiさんの『五右衛門風呂』も既に現役ではない。
この日は、佐田岬へ行く予定だった。
朝食後、「今日の予定は?」。なんとなく空気がよくない。
「庭の手入れでも・・・」

この犬も、迫力に欠ける。一度も吠えなかった。
番犬失格なり。
昼食後は、間をおかず、「出かける!」強気に出てみた。
佐田岬は、すでに断念している。
たいした目的地も無い。

龍馬の宿を過ぎて、脱藩の案内にしたがって、10分くらい
行くと、意外なところに人家があった。十分に生活感もある。
雪が、
案内にしたがってさらに進むと、道路はなくなった。
やっと引き返せる。
ここからの脱藩は、徒歩で峠を越えることになるらしい。
車で行けない所までは、行かんことにしている。疲れる。 
『庭の手入れの仕方』の本を買った。
まだ読んではいないが、本人素人とは思っていない。
生け垣を刈り揃えてきた。

新雪が積もり始めた。
激しく降っているらしいあの峠を越えて帰る。

15年程前、あの峠で車が動かなくなり3ヵ月も
放置したことがあった。
龍馬の宿の立派な柿の木。 
ショボイ番犬は、一応いたが、人の気配はなかった。
午後5時28分。
再び、脱藩ラインを超える。

2011年12月21日水曜日

13年目の訪問

かつて、愛媛県で複式の小学校を長期間取材したことがある。
1980年代の終わり頃、ダム建設のため沈没するらしい学校をたずねた。
当時、全校生徒10人。
その後、ダム建設は中止になった。この小学校も13年前廃校になった。
最後の卒業式まで取材を続けた。
黙々とグランドの掃除をしている男性がいた。
落葉を燃やしていた。とりあえず挨拶は交わしたが・・・、
まもなく、誰かがやってきて二人ともいなくなった。
この日は風が強く火のことが気になる。 
火を点けたのだから、すぐにもどるだろう。 
火が、心配。
自分に責任があるはずはないと思いながら・・・ 
教室のドアは、しっかりロックされていて
かつてのように気ままに入ることはできない。
常に、外の様子が気になる、気になる。
卒業生は、1人。在校生2人。
新入予定2人だった。
新入予定2人の幼稚園の窓。小学校と併設。
ここに長居の予定は、もとよりない。
ただ、通りかかったので寄って見ただけで目的地はずっと先。
掃除の男性は、戻って来ない。
火のことは、たいへん気になるが、彼も子どもじゃない。
先を急がなければ、時間に制約もあった。

村田と杉内、ホールトン。巨人の補強はすごい。
makiさん、来年はいただきkamo。



2011年12月14日水曜日

夜明け前

 海霧の取材目的で早起きの予定だったのだが、しかも一度は目が覚めたのだが起きられなかった。
 途中まで走ってみて、諦めて『サギ』に方針変更。


河口の夜明け前、just干潮で文句無しの好条件。
空は雲ひとつ無し。(海も最高の条件なんだろうな・・・。)
ここの良さは、なんといっても”穴場”。

まだ、昇陽まで20〜30分といったところで、実際には
この写真よりまだ相当に暗い。

潮が満ちてくるにしたがって、鳥達も
集まって来る。鴨は、早くからいた。 
誰も来ない。
今年の冬も、独りだけの”穴場”を維持できるといい・・・。
密かに、しかしせこくも強い願望。

徐々に、空が赤くなって水面を染めて行く。
川霧は、期待に反して少なめ。

赤い反射を入れたくてちょっとだけ移動。

陽が昇って、きれいになった。
風もない。
水面もじつに静かだった。

突然、顔を見せたのはカイツブリ?。
潮の満ちるのは、意外と速い。
この日、鳥達の釣果はイマイチだった。
ほとんどの鳥は、すでに場所替えしていた。
カイツブリは、辛抱強く頑張る。

この週末は、佐田岬の予定。

2011年12月11日日曜日

竹林寺の紅葉


ヤボ用で、高知市に行ったついでに、『竹林寺紅葉見頃』
(新聞情報)を期待して時間をつくって寄って見た。

午後3時、
さて如何かと、心迷う時間帯ではあった。が、
「急げばなんとかなる。」少々スピードアップ、
してみるかとバックミラーに目をやれば、後にピッタリと
パトカーがくっついていた。おかげで、安全に五台山へ。
肝を冷やしたぜよ。 
滅多に、交通違反はしません。
ちなみに、免許は、五年物。 
紅葉は、情報どおり今盛り。

すぐに、光は無くなった。
老婆がしんどそうに、時々休みながら上って行く。
この人は、このあとモデルになってくれた。
石段の周囲は、紅葉まだこれからの感。

4時。
弱い光がまだ残っている。


2011年12月5日月曜日

トイレのカミさま

晴天、ちょっと寒い初冬の休日の午後。
特段の目的も無く、それでいて何かしていないと落ち着かない不安になる。
なんとなく”R197”を駆け出した。大洲市に入ってさらに海岸まで来たら
『長浜』というところ、よくある地名。
3時くらい、風が冷たい。光はすでに斜め。
月が見えた。携帯の中継塔がこの町のシンボル塔のよう
遠方からでもよく目立つ。

町は、寂れた感じ。
『塔』だけが、今の時代ような、

走っていると公園にぶち当たった。
クロネコが来た。
今日、職場でスタッフに、「公園に行ったら、人なつこいクロネコが出てきた。」
モデルになってくれた話をしたら、公園でクロネコヤマトに出会った、と解釈された。
まさか、ヤマトの兄ちゃんをモデルにする気はない。
ついでに、男も出て来た。
ついでに、撮った。

とにかく、ウンコになった。
この建物は、トイレである。
余計なことかもしれないが、拙者”洋式”は、全くダメ。
トイレは、生来日本人らしく”和式”と決めている。
ここはウンヨク?”和式”であった。

ご覧のとおり、人っ気なし。

注、これから先は、怖い話の苦手な方は、読まないでください。

やっと見つけた個室。だれでも、経験あるだろうこの開放感。
突然、
「ペーパーは、ありますか?・・・」(老婆のような声)
一瞬、何事か理解できず自分のこととも思えず、ン?ぐらい。
ペーパーはありますか?
今度は、自分に対しての問いだと解る、
あ、あ、あります!」(控え目に)

急ぎ、用を足して外にでてみたが、誰もいなかった。
辺りを、しっかり確認したが、やっぱり誰もいなかった。

トイレの神様に出会った。
スタッフに話したら、「それは『トイレの紙様』でしょう。」

公園の長居は、怖い。
少し行くと、またもや人っけのない家があった。
悪い癖で、だれもいそうにないと覗いてみたくなる。
ただし、空き巣狙いではない(念のため)。

誰が見ても、住人がいるとは思わないのでは?
よく見ると、左の奥に吊るし柿。
ズームしてみると、順調に旨そうになりつつある。
妻の柿は、すでにカビ。
ここの柿は立派。




4時頃、帰途に。
踏み切りがあった。たいへん情緒ある踏み切りで、
列車の通過を待ってみることにした。デカイブリを持った
オヤジが通りかかった。「汽車は、何時頃?」
さらに、1時間要するとのこと、諦めた。

自宅に帰ったら、長男夫婦が帰っていた。