4月8日(日)の午後のこと。 今となっては遠い過去のお話。 開山四百年を迎えた『孝山寺(津野町高野)』の住職さんが その記念祭開催にあたり、式典取材を、「自由にどうぞ」と 快く認めて下さったので、いささか無礼気味に迫ってみた。 |
『採燈大護摩供』(恥ずかしながら意味不明) 山伏装束の、多分由緒ある人たちがかねてよりセット していた薪に火を点ける(”薪”は、失礼だと思う。)。 |
これは、火種になる。 これで、セットに点火する。 このような催事は、全く初めてのことで興味津々。 尚、この次に来る『火渡り』については、テレビで 何度か観たことがある。 |
不思議に、『火』というものは、人の心を 無条件に興奮させる、とそんな気がする。 参加者の願い事を予め書きしたためた板(これを 護摩というのかも)を火に投げ入れて成就を祈る?。 庭の中央のセットが勢いよく煙を排出しだした。 大きな炎を期待していたのだが、この人たちの狙いは 最初から煙だった様子である。 |
これほど煙ると、消防車が飛んで来るゾ、 事前に、届けている、らしい。 一見、正月の「どんどやき」風。 装束は古風だが、足元は革製の地下足袋風。 この頃では、とんとたき火なぞ見られなくなったが我々の 子どもの頃には、そこら辺りで人々が集まって暖を取ってい た。子どもだけでも、とくに咎められることも無くたき火し ておやつがわりの芋など食ったものだ。 |
煙には、健康へのご利益があるそうな。 浅草で煙を、肩や足腰にまた頭目耳などに 擦り付けていたあの情景と同じ。 |
煙が一体を覆ってしまい舞台は、いよいよ 幻想的になってきた。想定外の雰囲気に気分上々。 |
『火生三昧供』(分かりやすくいうと『火渡り』のこと。) 大護摩供の”残り火”の上を素足で渡る祭事。 願い事が叶いますように、と祈りながら渡る。 |
第一は、孫の健康。 |
祈腰膝痛改善? |
ちょっと怖い。急いで渡る。 |
ぼくも、渡った。 お母さんは、職場のスタッフの友人で、 当方は、間接的な知り合い。 |
我が職場には、「ホラ吹き」がいっぱいおって、ガセホラは いっぱい聞くが、ホントの『ホラ(法螺)』は初めて聴いた。 嘘つきのことを、ホラ吹きと呼ぶのは何故? ホントのほら吹きさんに失礼ではないのか、などと 余計なことに憤慨しながら写真しているのである。 |
怖い『火渡り』も一度渡れば怖くない。 この次の催し、”餅まき”に備える人たちを尻目に ちょっと疲れた、”古老のカメラマン”は秘かに退散ス。 |