2014年5月28日水曜日

トイレのカミさま、その2

敢えて、断っておこう。
ノンフィクションであることを。

アンチ洋式トイレ。日本人を長くやっている小生には、洋式は、未だに馴染めない。
(という話は、2011.12「トイレのカミ様」参照されたい。)



トイレは、「和式」に、生来かたくなにこだわっている。
理由は、いずれ詳しく説明申し上げることにして、今回は、
悶々とした”おちつかないはなし”に、耳を、いや目をお借りしたい。
こだわるだけに、公衆で和式の備わっているコンビニや道の駅は、大体把握
している。最近では、すっかりアナログ化して、和式は、かなり少なくなった。不便になった。
そんな寂しい状況の中、じつに有難いことに某スーパーマーケットには、未だに
旧式の和式が二つ並んで残っている。今後とも、強権に屈せずまた世間体にも
流されることなく、和式と日本国憲法は、なんとか守り続けていっていただきたいものだ。
日本の恒久平和を、切に願う。
先日のこと、この某スーパーマーケットで何年かぶりにお世話になった。
入ってすぐの右手に、3人分の洗面所があり、続いて和式のトイレが
二つならんでいる。先客がいなければ、いつもオープンになっており、
じつにわかりやすくてよい。手前の空き部屋には、カミが全く無かった。
カミの有無確認はじつに大切なことであり、何処にあっても必須でもある。
今回は、当然カミが十分に双巻きもあった奥の部屋を利用することにした。
しばし満たされていた。

少し遅れて、隣室も塞がったようだ。満たされて、鼻歌のひとつも、とそのとき、
「・・・カミが・・・」、ボソッと聞こえた。
ハッとした。思い出した。
「ウワ、どうしよう。(カミがありますよ!と言ってやるべきか否か・・・)どうしたらええろう・・・。」
しばし、・・・ザーッ・・・
・・・バタン!・・・
・・・・・・・・・・

この話、店のおやつ時に話したら、絶対に「助けるべき」と我がスタッフたちには、
強烈に非難された。

どっちにしても、トイレにカミは居る、いや要る。絶対に要る。

・・・なぞは残る。彼は、そのときをいかに処理したのか・・・・。
この疑問には、だれも触れなかった。

彼が何者か、だれも知らない。

2014年5月23日金曜日

こいのぼり

そろそろ、季節外れ?
巷では、ちょっと知られた2000匹のこいのぼり。

以下、フィクションです。

於待合室、介護タクシーの呼び出し。

(この頃では、ご老人もほとんどみんな携帯電話を、
携帯している。どこででも電話をかける。)
「A薬局で待ちゆうき、20分ばあしたら、迎えに来てや!」
大きな声で、”予約完了”だったはずだが・・・、
知り合いが、「いっしょに、いなんかよ(帰らないか)?」と誘ったら
「そりゃあ、1000円もうかったぜよ。」
早速、お友達の車に乗って帰っていった。

やがて、介護タクシーがやってきた。




2014年5月14日水曜日

棚田の田植え前

昇る朝日と田植えの準備が整った田圃。
農繁期の到来である。

棚田に、水が張られた。

私どもの田圃は、まだまだお手付けなし。
田植えの予定すら・・・・。(苗たては、進行中。)
「もう、年齢的にも、田圃はきついので、止めようかと思うちょったら、
息子が、戻ってきて、田圃を続ける言うてくれた。」
若い人の代掻きは、このあたりではあまり見かけないので、
遠方から眺めていると、80歳前後くらいの老人が軽トラから下りてきて、
嬉しそうに長話をしていった。
「まあ誰かと思うたら、先生かよ!」
この界隈では、少しばかり悪面を知られている。
悪事はできない代わりに、特権的に、カメラの求めには、応じてもらえる。

「早うせにゃあ、車がまぎりゆうぜよ。」
二人を、撮るために、車を道路の真ん中に止めた。
滅多に、車の通る道でもないのに、丁度軽トラが通りかかった。
顔見知りばかり、この運転手も急かせる素振りもなく、
ニコニコ顔で、待っていてくれた。

苗たて中

2014年5月11日日曜日

五月季、

緑、すっかり深い。
春と夏のあいだ。この中途半端な季節を、四季から
分季して五月季と呼ぶか?は、先日の新聞による。



暑かったり、霜でも降りんばかりの寒さだったり。
今朝は、寒かった。日中は、暑かった。
山菜採り最盛期。
じつは、自慢にもならないが、西村家にも小さいながら、
山菜のたくさん採れる山が、四国山地のやや高地にあって
週末には、山菜採りの人たちで結構賑わっているそうな。 
山の人たちは、元気。

先日、待合室に威勢のよさそうなご婦人が、二人連れで入って来られた。
Aさん:「若いお医者さんが来たゆうき、下着を換えて来たのに、聴診器もあててくれざった。」
Bさん:「私は、若いキ二、胸を開けて、聴診器をあてて丁寧に診てくれた。どきどきしたぜ。」
ちなみに、Aさん75歳でBさん72歳、いずれも元気。

フィクションです。写真と文とは、関係ありません。

2014年5月4日日曜日

日本にあったあるひとつの名瀑

四万十川の源流にある名瀑「長沢(ながそう)の滝」
特徴は、水がハート型の穴から流れ落ちる珍しさである。

津野町郷地区にあって、
滝はむろんのこと、その周辺の流れや景観たいへん美しい。
郷地区の川上某氏より撮影依頼を受けていたので、
そろそろ、新緑もきれいになったかな、と来てみた。
数年ぶりに来てみたのだが、周辺は、すっかり整備され
ており、思いのほか、撮影は楽だった。ただし、足場の不安定な
危険な場所の取材は、避けることにした。
川上さんは、この名瀑を広く紹介し、過疎化深刻な
この地区の再活性化の拠点にしたい、と願っている。
四国カルスト「天狗高原」の山麓に位置し、秋の紅葉など
四季を通じて訪れてみるだけの価値は、十分にあると思われる。

位置等、詳細は津野町産業課あてお問い合わせを

2014年5月2日金曜日

湿布薬は、要らんかえ?

5月1日。
若いころは、職免を得てメーデーの集会に参加していた。

今朝の、高知新聞に、夏でも春でもない「5月という季節」の話が
ちょこっと載っていた。今年も、そんな季節がやってきた、という感じ。

耳が遠くて、少々ややこしくて口の減らない、しかしそれでいてどこか憎めぬ
むしろ、結構好感爺さんがいるんです。本日、やって来ました。フィクションです。

普通の声での会話では、一方通行になり「会話」が、全く成立しません。
なぜなら、恐ろしく耳の遠い彼の耳には、他人の話は、ほとんど聞こえません。
大声で話せば、それなりに聞こえはするのですが、それでも自分オンリー
の話に集中してしまいます。また、こんな会話では、個人情報の保護も秘密も
あったものではなくなります。訴えられても困ります。
したがって、秘密保持とお互いが通じ合うために筆談ということになってしまいます。
とこらがこのごろでは、面倒な筆談に、彼は、すっかり慣じんでしまって、挨拶のような
ふつうのことでも、

「分からんキニ、書けや!」
「今日は、湿布薬はいらざったかよ?」
書いたとおりに、声を出して読み上げる。続けて、
「いらんことはないぜよ。医者が、書き忘れちょらあよ。」
患者さんの希望に沿って、処方医に問い合わせてみる。
医師曰く、「ご本人が、湿布薬はたくさん残っているので
不要とのことでした。」
”ご本人”に、筆談で確認すると、
「確かに、そういう話もした。まだあるき今回はいらんぜよ。」

何事もなかったかのように、爺さんは普通に帰っていきました。

2週間後、
「クスリAが、出ちょらんぜよ。」
復唱して、
「そりゃあ要るぜよ。無いと、たちまち寝れんぜよ。」
「先生には、残っちゅうきにいらん、言うたんじゃないのかよ?」
「そうそう、そういう話じゃった。今日は、いらん、残ちゅうき。」

このフィクション、写真とは無関係です。
写真は、山菜採りのご夫婦です。