2014年9月25日木曜日

彼岸花が咲いた

今年も、しっかり彼岸花が咲いた。
丁度見頃を迎えている。

トイレには、缶ジュースがあった。
未開封缶のようだったが、
好みが違ったので、手を触れなかった。
願わくば、
瓶タイプではない無糖コーヒー
今年も、なんだかんだ言っても、結局巨人のようです。
今夜は、中日に負けましたがね。

缶タイプは、苦手です。
(まんじゅうは、怖い・・・)

2014年9月17日水曜日

「痛い、痛い」の話

フィクションです。

高齢の人たちの多くは、「痛い、痛い。」と、
体の色々な部位の、痛みを訴える。

四国山地には、たいそう働き者のおばあさんがいる。
自宅の庭、及びその周辺、また自分の畑はむろんのこと、他人の畑も越権なんのその、
とにかく雑草の一本でもあろうものなら、気になってイライラして落ち着けんという。
独り暮らしで、朝は5時に起き、夕は陽が落ちるまで、ところ構わず
除草に精出し、8時には明日の除草計画を夢見ながら、床に着くとのこと。
このおばあさん、ひざ痛でずうっと長く通院治療を続けている。
一度は、医師の勧めで手術もしたが、あまり良くならなかった。
以降は、やむなく薬物治療を続けているのだが、
いつもの薬では、芳しくなく仕事に支障をきたすらしく、今回薬が変わった。

2種類の痛み止めの飲み薬が、処方された。

初めの14日は、A薬
続いて14日は、B薬
飲むのは、いずれも、1日1回朝食後

しっかりしたおばあさんだから、大丈夫とは思ったが、
念のため、A薬には朱書きで①、B薬には②と記入して、
メモ書き、「①が終わってから、②を飲み始めること」
いっしょに飲まれんぜよ!!と、さらに念押し。
2週間ほど経って、しっかり者の彼女から電話。
「薬が、足らんなった。」
確認すると、①と②は同時には、飲まなかったが、
①を飲んで、少し間をおいて②も飲んだ。
しっかり者の彼女だから、よく思い出して深く考えてみたら、
「確かに、説明では、全部で一か月分のはずじゃった。」
薬が無くなってから、気が付いた、という。
電話は、指示通りに服用しなかったことの謝罪のつもりだったとのこと。
しかし、薬はよう効いたらしい。

フィクションです。

2014年9月13日土曜日

トイレのカミサマ その3

            トイレには、カミサマがいた・・・らしい。

           r197の四万十川源流域のトイレにて、

「写真は、増水中の四万十川源流」

出勤途中、峠のトイレに寄った。
いつものとおり、一番奥の一室を選んだ。
この日は、「カミ」の確認をする前に小荷物置き場の
ジャンバーと、よく膨らんだ財布らしきものが目に入った。
周囲には、誰もいない。
もちろん、カミも大丈夫。
膨らんだ財布に関しては、ずいぶん気になったが、
まずは、用を足して・・・。
「今日は、昼飯にありつけるかも・・・」、考えながら十数分。
ちなみに、いつもより時間がかかった。
トイレの中で、お金の使い道をあれこれ考えているうちに、やっとすっきりできた。
流して、戸を開けると、バイクツーリング中の兄さんらしき若者がこの一室の前で
せわしなく煙草をふかして、しかも幾分興奮気味な感じで立っていた。
一見して、忘れ物の主さんだと分かる。

訊ねもしなかったのだが、1時間くらい前に、同じ部屋を利用した、とのこと
勝手に急いで弁解っぽく説明していた。こちらは、そんな話は、どうでもよかった。
とりあえず、「中のものはそのままにしてある」こと、これから交番に
連絡しようと思っていたことを告げると、たいそう感謝された。

サラメシは自前になった。




2014年9月5日金曜日

近道


今年の夏休みは、晴天不足で子ども泣かせだった。

子どもだけではなく主婦にとっても厳しい夏。
近所のスーパーへ出入りすること、少なくない主夫たるわが身も
野菜の思わぬ高騰には、いささか参っている。

今回の写真は、夏休みが始まってまもなく”そろそろ一雨欲しい・・・”
の真夏らしかったころの佐田岬行。

この写真は、次の話で老人が勧めてくれた高知への最短コース。

高知県美術展応募のための取材を兼ねて、
早朝より、佐田岬へ。
この日暑さには尋常でなく、車を離れるのが怖くて
結局のところ昼過ぎまで走るばかり。気合が入らん。あっさり諦めて
帰路についた。しかも、できるだけ近道を選択して帰ることにした。

老夫婦らしい二人に出会った。
なにかやってるらしかった。
「なにしゆうがよ?」
「メダカの水をかえゆうがよ。」
メダカには拍子抜けしたが、ええ顔した老人たちだったので、
ちょい、と撮らしてもろうた。
「兄さん,どこへ行きゆうがよ?」
「そこの向こうの近道を通って高知へいぬるつもりよ。」
「もっと近道を教えちゃおうか?」

習ったばかりの近道、不安ながらも折角だからご案内のとおりに走ってみよう。

「峠の一軒家」

山越えの最短?の近道を、
どんどん狭くなっていく「近道」を奥へ奥へと、
引き返した方が無難かもしれん・・・とは、思いつつ・・・

人家があった。人もいた。
安心のために、道を尋ねてみた。
そこを、左に・・・丁寧に教えてくれた。
正しかった。一安心。
この道も、どんどん山の奥へ、奥へと案内してくれる。
このころになると、「はじめの予定通りに走ればよかった・・・」
あのままだったら、多分もう帰り着いたころだろうに、またまた不安になった。

しかし、やがて下り坂になってきた。ほっとする。
道も、舗装になった。ナビにも、道ができた。
老人たちと別れて、2時間くらいでやっとのことで、広い道にでた。
よかった。
ところがこの場所、2時間前に老人たちと別れたところだった。

この話、ノンフィクションであります。

最初の、予定通りの道を走って帰りました。

2014年9月2日火曜日

8月、大雨月?

今年の夏は、雨ばかりだった。しかも、大雨の連続で、
この近辺でも、土砂崩れ等あちらこちらに被害はあった。
ただ幸いにも、いずれも軽微だった。


どしゃぶりの最中では、撮る勇気がなかった。

せめて窓越しに、

こんなところでは、今にも崩れてきそうで長居できなかった。