2014年10月26日日曜日

10月の色

数日前、雪虫が飛んだ。
一日だけ飛んだ。
孫と二人だけだが、まぎれもなく
雪虫が飛んだ、
と思っている。



色づいてきた。

朝日が射した。
蜘蛛の巣が光った。
日中は、まだ暑い。
影を選んで、保育園児の散歩。

残照のころ。

2014年10月21日火曜日

雲海

雲海を見に来ませんか?
場所は、津野町役場宛照会してみてください。
晴天なら(+運がよければ・・・)10月いっぱいは、
たのしめます。但し、要早起き。

午前3時ごろ

午前5時くらい

日の出ごろ

見頃(日の出から30分くらいの間)

午前6時半ごろ

やっぱり巨人が負けた。じつに弱かった。阪神は、強かった。
今年のペナントレース優勝も原采配というより
運を惜しみなく使ってのものだった気がする。
ペナントレースで、その大切な運を使い果たしていたようで
CSでは、すでに戦うその余力が失せていたのかも・・・。
来年は、今年の運プラス昔の強い巨人に戻るかな・・・。

2014年10月15日水曜日

濁流(台風19号より)2014.10.13

四万十川源流の濁流。

台風19号の暴風雨の最中。
ちょっとキケンの中、怖々と勇気で取材してみた。
我が家のすぐ前が、四万十川。
思わず吸い込まれそうな錯覚をおぼえるほどの勢いで流れていた。

ゴーゴー、と濁流轟音激しく、前夜(12日)は寝つきがよくなかった。
12~13日、我が津野町では、全域に避難勧告が出ていた。
避難しなかった。
13日午後は晴れた。





2014年10月8日水曜日

パチンコ優先!!

             研修会出席のため、台風の近づくなかにも拘らず高知市へ。
              
                            「堤防のセイタカアワダチソウ」

突然ですがフィクションです。
つい先日のこと、

調剤して、お薬を渡したら、
「すまんけんど、年金が出るまで待ってもらえんろうか?」
「ええよ。いつでもかまんき心配しなや。」
おくすりの代金は、しばらく待つことになった。
「よかったら、連れていんじゃおかや(連れて帰ろうか)?」
隣の席にいた同じ80過ぎの老人がバス代まで心配してくれてか
年金支給待ちその老人に声をかけた。
当然、彼は喜んで便乗して帰られるものと思った、誰しも。
                                                       「本日のおすすめ市」

店頭で交わされる、耳の遠くなったお年寄りたちの哀愁さえ感じる
日常の支えあいの会話である。1日に一度くらいは、耳にする。
いつもなら、聞き流す・・・のだが、
「いや、まだいなん(帰らん)。パチンコで2~3万打ち込んでから・・・。」
本人は、精一杯の小声で話したつもりだろうが、残念ながら、狭い店ならば
みんなの耳に明瞭に届いた。
背中で聞いたこの会話に愕然としながらも、スタッフの吹き出しそうな顔を
横目で睨みながら、聞かなかったことにして次の調剤にかかった。
                                      「高知市にて」
研修会出席のため、高知市まで遠路やってきたのだが、
早く着きすぎたので雨中の裏町を散歩してみた。

時間があっても、パチンコには行かんぜよ。
犬を連れたかわいい女の子がいた。

パチンコ、麻雀とも30年近くやっていないです。

2014年10月5日日曜日

よく晴れた日



稲刈りをやっていた。

この写真の右下隅でまだ緑の強い田圃がうちので、
収穫は半月後でもよさそう。


今年の梼原の米は出来がよい、らしい。
収穫が愉しみ。

老婆87歳。
稲作は、もうやめた。いもを栽培するほうが、金になる。
長男は、大塚製薬の重役じゃあけ、もどってきて百姓はせんろう・・・。

息子の出世物語をいっぱい聞かされた。大塚の重役さんなら、
自慢のひとつやふたつしてみたくもなりましょう。
井戸端会議を邪魔した罪の償いと覚悟して、いっぱい聞いてやりました。

ちなみに、10年位前まで幕内で頑張っていた、「玉春日」というお相撲さんも
ここらの出身で、彼が現役のころ、取材のためカメラを向けた野良仕事中
おばさんが、偶然にも関取のお母さんで、結構長時間立ち話をしたことがある。
気さくな人だった。(当時は、「愛媛県野村町」と出身地紹介されていた。)
そのころの惣川(そうがわ)は、幕内の取り組みが始まったら、野にも畑にも
人っ子一人見えなくなったものだった。
もちろん、ゲートボール場にもだれもいなかった。
界隈の人たち全員集会所のテレビ前に集まって、声援を送っていたのである。