2014年12月6日土曜日

四国カルストに初雪

12月まだ上旬というに初雪、
しかも積雪。


4日から降り始めた雪、梼原では、けっこう積もった。
寒い。

寒いところで、サブいフィクションを一席。
頑固な便秘でお悩みのタノモさん(仮称です)が、いつものように
処方箋を持ってやってきて曰く、
「ウンコが出そうになったき、(便秘の)座薬を挿したら、
ウンコといっしょに薬も出てきた。座薬は、効かんぜよ。」
改めて、
「そりゃあウンコが出るのには、この薬は使わんがよ。
便が出んでしんどい時にばあ、おしりに挿すがぜよ。
出そうなときに使うと、また一緒に出るきね。」

”効かん”けんど、この日もしっかり座薬が処方されていた。


2014年11月30日日曜日

四万十川源流の村「秋祭り」の日

「津野山古式神楽」
毎年11月、収穫も終わって、神に豊作の感謝を捧げる日。
かつては、年に一度の盛大なイベントに、地域の村人が
神社に勢ぞろいし、境内には、出店も沢山並んで大賑わいだった。


昭和30年代、大戦の傷跡も徐々に癒え
少し落ち着きを取り戻したころの秋祭り(わが村では、
「神祭(じんさい)」という)は、こどももようけおって、境内は満員で、
そりゃあもう賑やかなもんだった。
高度成長期に入った途端、働き盛りの若モンは、
村から、またたく間に消えておらんなった。
中学校を卒業したら、全国的にそうであったように
その多くは集団就職で村を出て行った。
おかげで、あっという間に過疎の村になってしまった。
こどももおらんようになった。賑わった神祭も、
年々質素になっていった。
立ち見でいっぱいだった神楽も、
いつのまにか隔年開催になった。
神楽の演目は、全部で18(多分)。
早朝から、夜遅くにかけて長時間舞いが続いた。

いまでは、全て演じられることはまずない。
ときには、4~5演目くらいで終わることもある。
この舞は、幼児の氏子入りの儀式。
神楽の予定がないときは、幼児の健康を祈ってこの舞だけ
特別に演じられることもある。
この日は、8演目が奉納された。
地域出身の、懐かしい人たちも、かつてを偲んで
集まってきた。
10数年ぶりに、神楽を撮った。
ちなみに、私事、この神社の氏子です。


2014年11月23日日曜日

四万十源流「長沢の滝」の秋

11月23日、久しぶりのフリーデイということで、
早朝よりカメラを背負って霧景取材に出発。

こんな日に限って・・・


「長沢の滝全景」

出発まもなく、ケイタイが呼びかける。
「長沢が紅葉”満開”ぜよ!。今日が、最高ぜよ!」
紅葉の”満開”より、今日の霧ぜよ、と言いたいながらも、
貴重な情報源からのお誘いとあらば、
車の向きは、反対方向にチェンジする。

足場は、きわめてよくないが、機材を切り詰めて、
若さで滝壺に迫ってみる。
ご高齢の方は、決して真似をしないように。

ピンボケのようなのは、水滴です(念のため)。
川上さん(以前にも、この滝のとき・・・)曰く、
とりあえず、約束して現地で合流したのだが、
その第一声「今年の紅葉は、滅相なこたあない。」
つまり、あんまりきれいな紅葉だはない、のだそうな・・・・
折角来たので、アングルを変えて撮っておくことにした。
1時間くらいも撮ったろうか、
何組かの観光客らしきカップルもやってきた。
その都度、彼は、「どこから?」「このカメラは、なんぼぜよ?」
必ず、ケイタイの人であっても聞く。
彼の行為は、ほほえましくて決して邪魔にはならない。
むしろ、集中できて歓迎。
すでに、紅葉のピークは過ぎている感じ。
赤い紅葉は、全くなさそう。
しかし、きれいな滝でした。

川上さんから解放されて、
霧は、もう無い。

2014年11月19日水曜日

紅葉

           ほんの近所の秋を、

           昨年は、京都の紅葉だったので、若干見劣り気味。

















2014年10月26日日曜日

10月の色

数日前、雪虫が飛んだ。
一日だけ飛んだ。
孫と二人だけだが、まぎれもなく
雪虫が飛んだ、
と思っている。



色づいてきた。

朝日が射した。
蜘蛛の巣が光った。
日中は、まだ暑い。
影を選んで、保育園児の散歩。

残照のころ。

2014年10月21日火曜日

雲海

雲海を見に来ませんか?
場所は、津野町役場宛照会してみてください。
晴天なら(+運がよければ・・・)10月いっぱいは、
たのしめます。但し、要早起き。

午前3時ごろ

午前5時くらい

日の出ごろ

見頃(日の出から30分くらいの間)

午前6時半ごろ

やっぱり巨人が負けた。じつに弱かった。阪神は、強かった。
今年のペナントレース優勝も原采配というより
運を惜しみなく使ってのものだった気がする。
ペナントレースで、その大切な運を使い果たしていたようで
CSでは、すでに戦うその余力が失せていたのかも・・・。
来年は、今年の運プラス昔の強い巨人に戻るかな・・・。

2014年10月15日水曜日

濁流(台風19号より)2014.10.13

四万十川源流の濁流。

台風19号の暴風雨の最中。
ちょっとキケンの中、怖々と勇気で取材してみた。
我が家のすぐ前が、四万十川。
思わず吸い込まれそうな錯覚をおぼえるほどの勢いで流れていた。

ゴーゴー、と濁流轟音激しく、前夜(12日)は寝つきがよくなかった。
12~13日、我が津野町では、全域に避難勧告が出ていた。
避難しなかった。
13日午後は晴れた。





2014年10月8日水曜日

パチンコ優先!!

             研修会出席のため、台風の近づくなかにも拘らず高知市へ。
              
                            「堤防のセイタカアワダチソウ」

突然ですがフィクションです。
つい先日のこと、

調剤して、お薬を渡したら、
「すまんけんど、年金が出るまで待ってもらえんろうか?」
「ええよ。いつでもかまんき心配しなや。」
おくすりの代金は、しばらく待つことになった。
「よかったら、連れていんじゃおかや(連れて帰ろうか)?」
隣の席にいた同じ80過ぎの老人がバス代まで心配してくれてか
年金支給待ちその老人に声をかけた。
当然、彼は喜んで便乗して帰られるものと思った、誰しも。
                                                       「本日のおすすめ市」

店頭で交わされる、耳の遠くなったお年寄りたちの哀愁さえ感じる
日常の支えあいの会話である。1日に一度くらいは、耳にする。
いつもなら、聞き流す・・・のだが、
「いや、まだいなん(帰らん)。パチンコで2~3万打ち込んでから・・・。」
本人は、精一杯の小声で話したつもりだろうが、残念ながら、狭い店ならば
みんなの耳に明瞭に届いた。
背中で聞いたこの会話に愕然としながらも、スタッフの吹き出しそうな顔を
横目で睨みながら、聞かなかったことにして次の調剤にかかった。
                                      「高知市にて」
研修会出席のため、高知市まで遠路やってきたのだが、
早く着きすぎたので雨中の裏町を散歩してみた。

時間があっても、パチンコには行かんぜよ。
犬を連れたかわいい女の子がいた。

パチンコ、麻雀とも30年近くやっていないです。

2014年10月5日日曜日

よく晴れた日



稲刈りをやっていた。

この写真の右下隅でまだ緑の強い田圃がうちので、
収穫は半月後でもよさそう。


今年の梼原の米は出来がよい、らしい。
収穫が愉しみ。

老婆87歳。
稲作は、もうやめた。いもを栽培するほうが、金になる。
長男は、大塚製薬の重役じゃあけ、もどってきて百姓はせんろう・・・。

息子の出世物語をいっぱい聞かされた。大塚の重役さんなら、
自慢のひとつやふたつしてみたくもなりましょう。
井戸端会議を邪魔した罪の償いと覚悟して、いっぱい聞いてやりました。

ちなみに、10年位前まで幕内で頑張っていた、「玉春日」というお相撲さんも
ここらの出身で、彼が現役のころ、取材のためカメラを向けた野良仕事中
おばさんが、偶然にも関取のお母さんで、結構長時間立ち話をしたことがある。
気さくな人だった。(当時は、「愛媛県野村町」と出身地紹介されていた。)
そのころの惣川(そうがわ)は、幕内の取り組みが始まったら、野にも畑にも
人っ子一人見えなくなったものだった。
もちろん、ゲートボール場にもだれもいなかった。
界隈の人たち全員集会所のテレビ前に集まって、声援を送っていたのである。

2014年9月25日木曜日

彼岸花が咲いた

今年も、しっかり彼岸花が咲いた。
丁度見頃を迎えている。

トイレには、缶ジュースがあった。
未開封缶のようだったが、
好みが違ったので、手を触れなかった。
願わくば、
瓶タイプではない無糖コーヒー
今年も、なんだかんだ言っても、結局巨人のようです。
今夜は、中日に負けましたがね。

缶タイプは、苦手です。
(まんじゅうは、怖い・・・)

2014年9月17日水曜日

「痛い、痛い」の話

フィクションです。

高齢の人たちの多くは、「痛い、痛い。」と、
体の色々な部位の、痛みを訴える。

四国山地には、たいそう働き者のおばあさんがいる。
自宅の庭、及びその周辺、また自分の畑はむろんのこと、他人の畑も越権なんのその、
とにかく雑草の一本でもあろうものなら、気になってイライラして落ち着けんという。
独り暮らしで、朝は5時に起き、夕は陽が落ちるまで、ところ構わず
除草に精出し、8時には明日の除草計画を夢見ながら、床に着くとのこと。
このおばあさん、ひざ痛でずうっと長く通院治療を続けている。
一度は、医師の勧めで手術もしたが、あまり良くならなかった。
以降は、やむなく薬物治療を続けているのだが、
いつもの薬では、芳しくなく仕事に支障をきたすらしく、今回薬が変わった。

2種類の痛み止めの飲み薬が、処方された。

初めの14日は、A薬
続いて14日は、B薬
飲むのは、いずれも、1日1回朝食後

しっかりしたおばあさんだから、大丈夫とは思ったが、
念のため、A薬には朱書きで①、B薬には②と記入して、
メモ書き、「①が終わってから、②を飲み始めること」
いっしょに飲まれんぜよ!!と、さらに念押し。
2週間ほど経って、しっかり者の彼女から電話。
「薬が、足らんなった。」
確認すると、①と②は同時には、飲まなかったが、
①を飲んで、少し間をおいて②も飲んだ。
しっかり者の彼女だから、よく思い出して深く考えてみたら、
「確かに、説明では、全部で一か月分のはずじゃった。」
薬が無くなってから、気が付いた、という。
電話は、指示通りに服用しなかったことの謝罪のつもりだったとのこと。
しかし、薬はよう効いたらしい。

フィクションです。